読書感想

『「うるさい日本」を哲学する』

中島義道・加賀野井秀一 共著

講談社

定価 本体1600円+税


「うるさい日本」の意味は、「音」がうるさいのだが、その音は工場・飛行場の騒音のことではない。もっぱら、「善意の注意・勧告・依頼等を喚起する音」のことである。プラットホームに立てば「電車が通過しますので、お気をつけください」「押さないでください」「三列にお並びください」「駆け込み乗車は危険です」、電車に乗れば「携帯電話は…、席をつめて一人でも…」と放送だらけ。銀行のATMも「毎度ありがとうございます。…操作ボタンを押してください。…恐れ入れますが、はじめからもう一度…」とキンキン声を聞かされる。家に帰れば、防災無線から夕焼け小焼けが流れ、「良い子の皆さん…」が聞こえてくる。

筆者2人(大学教授・哲学者)は、その音が苦痛でたまらない。「うるさい、無意味だ」と抗議を展開しても、「善意の巨大なる壁」はびくともしない。ドンキホーテが巨大風車に突撃しているみたいで、哲学者が「一般人にとってアホらしいこと」を大真面目に取り組んでいると、なんともおかしい。

しかし、それだけの内容ならば、お笑い芸人と同じ。やっぱり哲学者なので、日本文化論へと展開されていく。昨今のベストセラーになった日本文化論は、著者自身の感情論であることが多いが、博学なる哲学者の日本文化論は、それなりに興味深い。しかし、最後まで読んで分かったのだが、本書は日本文化論ではなかった。

テーマは、「善意の圧倒的多数者」と「被害を受ける極少数者」である。「少数」でも、例えば「少数民族」「同姓愛者」などの場合、好嫌はあっても、存在は知られている。しかし、筆者2人が問題にするのは、多数者は「そんな人は、いるわけがない」と意識すらされない「極少数」である。

要するに、「異邦人」がテーマであった。

ふと見渡すと、今の日本、様々な種類の「異邦人」が生まれている。