読書感想

『TOKYO YEAR ZERO』(トーキョー・イヤー・ゼロ)

デイヴィッド・ピース 著  酒井武志 訳

文芸春秋

定価 本体1762円+税


題名の意味は、昭和20年8月15日である。

ひさびさに驚いた。驚いた理由の一つは、著者がイギリス人であること。13年前に東京に移り住み、「若手イギリス作家ベスト20」のひとりに選ばれているそうだ。別段、イギリス人自体が珍しいわけではなく、イギリス人が敗戦直後の東京の情景を描いたから驚いたのである。二つ目は、その文体である。朗読に例えるならば、本文の朗読の背景にバックミュージック(詩の朗読)があるようなものと言えよう。重層的構造とでも言うのだろうか。

第三の理由は、やはり、内容・ストーリーである。実のところ、このことに最大級驚いたのである。小平事件(おそらく日本犯罪史上、最悪の連続強姦殺人事件)の犯人探しが物語の主軸に置かれている。そして、飢えた人々の群れ、新橋の闇市場、やくざと外国人の抗争、それにからむ警察上層部とGHQ、進駐軍のために設置された娼館……そうした敗戦直後の暗すぎる情景をからみ合わせて、物語は展開する。一言で言えば、戦争と敗戦直後の「狂気」である。いや、「狂」そのものかも知れない。

私自身は昭和23年生まれであるから、20年、21年の体験はない。しかし、なぜか、読むにつれて、その「狂気」を知っていたような感覚に浸っていた。あたかも、「誕生以前の感覚」を滲み出させる威力が、この本にはあるようだ。しかし、単に敗戦直後の再現ならば、それだけだ。どうやら、「狂」の根本的原因の探求こそが、本書のテーマなのだろう。

解答は、本書で繰り返し登場する言葉―「自称どおりの人間はいない」。それがキーワードなのだが、個々の読者が、それをどう受け取るか……それが戦後日本人の問題なのだろう。

なお、本書は三部作の第1作である。第2作は「帝銀事件」、第3作は「下山事件」が主軸になる。